深夜の料理と結婚という契約
- 樹 国樹田

- 2月24日
- 読了時間: 7分
家族が寝静まった深夜に料理するのが割と好きです。といっても、消費期限の近い手羽元を鍋で煮込んでいるだけなのですが。
お肉がほろほろになるまで煮込むのが我が家の定番です。味付けはもちろん醤油に砂糖、みりんにお酒という伝家の宝刀です。
ちなみにチューリップにして唐揚げにするのはクリスマスの定番になっています。だって安上がり……(子供達がものすごい勢いで消費するのです)
晩ご飯に作った豆腐とわかめのお味噌汁があるので、明日の朝、もう今日ですが朝ご飯はこれに白菜のお漬物を足したら完了です。朝から食べにくいって言われそうですが苦笑
さておき、表題の件についてひとつめはこんな感じです。問題はふたつめ。
Xを見ていると、結構な頻度で結婚に関するネガティブな意見を目にします。それだけ今の人々が他人に感心が無く、内に引きこもりたがっている……ような気がするのですが私だけでしょうか。
かくいう私も正直なところ、若い頃は結婚する気はさらさらありませんでした。いえ、出来る気がしなかった、というのが本当のところです。
割と複雑な家庭育ちだったもので、そのうえ金銭的な問題も抱えていたので無理だと諦めていました。かつてお付き合いした方とお別れした原因も家庭問題が半分くらいは関わっていたほど。けれど何の因果かめぐり巡って子供を二人ももうける事態に。人生ってわからないものです。十代の私に今の現状を話してもきっと信じてくれないだろうなと思います。それくらい、結婚と出産は私にとって異次元のお話でした。そもそも子供が嫌いでしたし、後になって子供を甘やかす大人が嫌いだったのだと気付いたのですが、とにかく自分が産むなんてありえない、と思っていたのです。
どうして、と言われても成り行きとしか言えないのですが、まあ結婚については助けてもらったから、というのが一番の理由な気がします。Xには記載しましたが、刊行作品である「嫁姑戦争in異世界!」は私自身の話をかなり盛り込んでいます。
(義母との関係性は私の願いの形ですね)
昔、実家が金銭問題を抱えており、働けど働けど貧しさの変わらない日々に疲れ果てていた頃、自分の所においでと言ってもらえた感動は○十年を経た今も忘れられずにおります。
この人ならいいか、と思うようになり結果として今に至る、という感じでしょうか。
お相手とは色々ありましたし今もあったりなかったりするのですが、当時の感謝はまた別としてずっと持ち続けています。言った本人はさほど気にしていないようですが。
昔、お付き合いしていた方に「お前は浮気とかできない人間だ」と言われたことがあります。これはつい最近になってああよく分かってるな、私はそういう人間だった、とわかったのですが、本当に私は結婚というものについて、若い頃に思っていたよりずっと厳格な考えを持っていたようです。
というのも、昨今のXでの呟きやこれまでの自分を省みるに、私は文字通りなのですが「結婚」を契約である、と心底思っていたようなのです。いやそもそも結婚って契約でしょ、という話なのですが、表面的な話では無くこれは根幹についてのお話になります。
結婚という契約を交わした以上、私は相手が寝たきりになろうがたとえ人生を投げ出して何もしない人間になったとしても、背負って生きねばならない、と考えていたのだと最近気付きました。
気付いたきっかけは割愛しますが、自分でも割と驚きました。あれ、私ってそんな真摯で実直な人間だったっけ?まさか、もっと大雑把な性格の筈、と思わず自分で否定したほど。
ですが考えてみれば、妊娠中に相手に仕事辞めていい、いやむしろ辞めてきて、と言った覚えだったり(超絶ブラックな職場だったので)産後四ヶ月でほぼフルタイムの仕事をしたり、家にいて良いよと言われようが働いて資格を取ったりと、結構なんやかんやで相方に何かあっても自分がどうにかすればいいか、な精神があった気がします。実際普通にそう思いますし今でも思っています。
他に不貞に関することも毛嫌いこそすれ、自分がなどとはやはり今も露ほども考えられません。スマホのアプリDL履歴を見ると、あるのは育児アプリかゲームくらいのもの。
自分でも驚くほど綺麗なものです。結婚して割と時間が経っていますが、一度たりとも他に見向きをしようとしなかった私、割とやるなぁとちょっと感心しました。いえ、当たり前ではあるのですが。
恐らくですが、見目に自信が無かろうがあろうが関係無く、誰かと話すくらいなら今の時代いつでもどこでも出来るのでしょう。
ですが私の場合、家族以外と話すくらいなら家でモンハンストーリーズがやりたいですし、原稿書いていたいですし、絵も描きたければ漫画も読みたいわけです。
そんな暇が無いしそもそも子供に顔向けできないようなことはしたくありません。
あと結婚相手以外の異性は無意識にシャットダウンされています。異性ではなくただそういう人、という認識でしかなくなるため、明確に自分の相手以外に目を向けないようになりました。
最近また着だした着物についても、リサイクルがほとんどなのは自分にお金をかけるくらいなら子供にかけてあげたいと思うからです。たぶんこれは至極真っ当な考えだと思います。
ですが当たり前ではあれど、そんな当たり前のことが無意識に出来ていた自分を、少しだけ誇っても良いんじゃなかろうか、とちょっと思いました。
かなりはっきり言ってしまうと、お相手の方(この場合夫ですが)に私と同じことを求めているわけではなく、単に私自身が「ちゃんと相手に対して正式に向き合った」のだと満足したいがためな気がします。
結婚とは他人同士が結ぶ契約なわけで、違反すればそれは契約不履行として見なされます。
私はそれが嫌なので、ただ単純に自分の心情に従っているに過ぎません。
いつかこの世を去るとき、結婚したことを後悔するのかどうかは今はまだわかりません。
今のところは良かったと思っていますが、未来は誰にも読めないので。
ただ「一人の人間と、自分なりに向き合った人生だった」というのは、今から考えてもさほど悪くないのでは、と思う次第です。
時折独身で生きていたらこうだったのではないか、と想像することがないわけではないですが、その場合の私はきっと、一人の世界に入り込み自由ではあれど知らない世界の多い人間になっていたような気がします。自分のことなのである程度予想がつくのが悲しいところです。元々が閉鎖的な性格なので仕事以外は引き籠もっていたでしょう。
もしかしたら成功していたかも知れませんし、しなかったかもしれない、未だに実家の問題で頭を悩ませていたかもしれないと考えると、やはり今が良いと思えます。
何より予想もしていなかった経験が出来たことは面白かったです。
子育てってこんななのか、命がけだな、でも達成感凄いな、ああ他人と暮らし、生きていくってこういうことか、自分にもこんな嫉妬や愛情なんてものが抱けたのか、等々、自分の知らない面をこれまで沢山見てきました。これからもきっとまた色々な面を見ることになるのでしょう。少し恐い気もしますが、面白いなとも思えます。
結婚という契約で得た様々は、たぶん私には良いよりのものが多く、他人においそれとは勧めないけれど、まあ悪く無いよと言える程度ではある気がします。というのが今回のまとめになるでしょうか。
思いついた言葉をだだっと書いてしまったので自分でもとりとめのない文章なのですが、ひとまず今の私はそこそこ人生に満足しているようです。
実家から逃れるきっかけをくれた結婚相手に、思いがけず恵まれた子供達、そして奇跡的に本が出せて夢が叶い、もうあまり思い残すことがないからかもしれません。
といっても子供もかなり大きくなったので、今後お金はかかれど精神のリソースはさほど割かれない(本人達が自分で判断できるようになった)ため、そろそろ第二の人生について考えようと思っています。
もちろん小説は書き続けますが。趣味なので。
これまでと同じように右往左往しながら、しかし楽観的に考えながら、人生の段階を進めていこうと思います。子育てほぼ終わりで開放感にも包まれていますし、がっつり何かをやるというのも楽しいかもです。
ではでは、そろそろ寝ます。お肉もかなり柔らかくなったので。(ずっと煮込んでた)

コメント